contemporaries 遠い場所の、同じ空の下の、

週末、ずっと、トマ・ピケティの『21世紀の資本』を手にしている。昨年からある種のブームとなっている著者並びに著書。その日本語訳がついに刊行された。この世界的話題の経済(?)書が、フランス人の手によって執筆発表されたこと、そして(わが国においては)みすず書房から出版されたこと、に、個人的には大いなる感慨を有したりもしているけれど、それは(長くなるので)さておき、同著者、トマ・ピケティは1971年生まれ。僕と同じ歳(タメ)だ。ピケティがここで論じていることは、われわれトビムシの社会仮説にどのように(大いに)関係し関係しないか、近く、丁寧に綴りたく思うけれど、それ以前のこととして、このような大著を発表した、しかも、経済学という、最近ではとかく金融理論に引き込もらざるを得なかった、それほどにマクロ的新規性が打ち出されることのなかった学問領域において、古くて新しい、大きな社会インパクトを打ち出した、そうした人物が、同じ1971年生まれ(僕が大学の図書館で貪るように本に向き合っていた頃、彼は既にMITで准教授をしていた)ということに衝撃を受ける。こうした感慨は、実に久しぶりのことだった。

僕は、以前、同じく1971年生まれの林厚見くんとの往復書簡、その書き始めの手紙に、「人は世代を生きている訳じゃない。」と綴ったことがある。その考えは、いまもなんら変わらない。一方で、人が、一定(以上)の感受性を以て社会に向き合って生きるのならば、人間社会の永く長い時の流れの中、年輪の重なりの中、における刹那的時代性、同時代性を背景としてはじめて正しく(自然に)感知すること、現すこと可能となる、その時々の現象、社会の在り様というモノに、やはりその時々、敏感に受信反応しているに違いない。その点で、僕は、生き眺めてきた風景、風景の背景にある、空気とか熱量とかいったものを同じくしながら、少なくとも近しく感じながら、個として、屹立し在る人に、在り続ける人に、(勝手に)大いなる親近感を覚えたりもする。同じく往復書簡のお相手、中渓宏一くん然り、本ブログの対談を契機に協働を進めることとなった、林千晶、諏訪光洋、ロフトワーク両代表然り。みな、1971年生まれであることは、偶然とも必然とも。いえるんだろう。

今回と同程度に、いや、僕自身が今よりもずっと若かった分、同じ歳の人物の在り様により大きな衝撃を受けたかもしれないのが、いまから10年以上(正確には13年)前、エフゲニー・キーシンがムソルグスキーの「展覧会の絵」を弾いた、その時、だった。彼の演奏は、ただただ圧倒的に素晴らしく、僕は、当時もいまも、その素晴らしさを綴ることができないけれど、これほどの感動を生み与える人間が、自分自身と同じ歳(さらに云えば、同じ月生まれで、同じ星座)であることに、ただただ驚愕した。感動を超え、驚愕したんだ。

僕は、とある映画(自体はどうでもいい)の「I belong in The Air.」という台詞が好きだ。「belong to」ではなく、「belong in」 であること、そう自然に口にすること、穏やかな表情でそう云える、云い切れること、が。
そんな僕は、彼彼女に嫉妬するでもなく、彼彼女の様に在れない自らを卑下するでもなく、彼彼女と同じ様に在りたいと思うでもなく、ただただ、自らの生を全うする、全うできる、そうした場に自らも在りたい、そうした場がないのであれば創ってでも在りたい、そして自然に「I belong in 〜」って云いたい、と、キーシンが、堂々と、でも少し照れながら、アンコール演奏に戻ってくる様を眺めながら、思った。とても久しぶりに、そのとき、そう思ったことを想い出した。トマ・ピケティの本を手にしながらの、いまここ、で。

政治的には、冷戦の下、いつどうなるかわからない不安感が漂い、経済的には、分厚い中間層が育まれるという歴史的に稀有な時代の下、昨日より今日、今日より明日、より豊かに在れるという安心感が覆う、そんな空気の中で、そして、突如、壁が崩れ、『歴史の終わり』が叫ばれる、そんな熱量の中で、青春期思春期を過ごした、僕と同じ歳の彼彼女らは、世界が右傾化にあるといわれようが、失われた20年にあるといわれようが、ただただ、自らが自らで在れるよう、遠い場所で、でも、同じ空の下で、かつてもいまも、屹立している。そう、かつてもいまも、屹立してるんだ。