年のはじめに改めて思う go on with

「長い時間、遊んでくれて、ありがとう。」気がつけば、南信州の地に辿り着いてから、半日近い時が経過していた。「こちらこそ、ありがとうございました。本当に楽しかったです。おやすみなさい。」ホテルの入口でタクシーを見送る。4年前のよく晴れた日、高野山、伽藍御影堂前のベンチで、たくさん、本当にたくさんの話しをした後に、役場の入口まで見送った時のように。

高橋寛治さんと出逢ったのは、5年半ほど前、彼が高野町の副町長をしている時だった。行政上の境界にこだわることなく、広義の意味における「高野山」の各集落にたびたび足を運んでは、丁寧に、其処に棲む人たちの声に耳を傾け、寄り添いながら、その集落の未来の可能性を感じて信じて。そして、その可能性を僕にも話しをしてくれて。高野山に訪れると必ずいく飲み屋の奥の部屋で。長い時間。ゆっくりと、そしていつも、嬉しそうに。
「飯田に一度きてください。ご案内しますから。面白いところですよ。」そんなあり難い言葉を頂いてから、4年。途中、御身体を悪くされた時期があったらしいけれど、中央高速の松川ICまで迎えにきてくれた寛治さんは、なにも変わっていなかった。彼の車に同乗させてもらうや否や、「清内路地区という場所がありまして…」と、いま関わりある集落の話しがはじまる。そして、「どこに行っても、ただ話しを聞いてるだけなんです。それだけでいいと思ってるんです。其処に棲む人たちが、人たちで考える。本当はなんでも知ってるんだから。知恵がたくさんあるんだから。」運転しながら、嬉しそうにそう話す。寛治さん、本当になにも変わってない。こちらまで(こそ)嬉しくなる。
そして、行きつけのお蕎麦屋さんや喫茶店を経由しながら、寛治さんが、四半世紀、関わり続けてきた飯田の街にたどり着く。そこでの再開発、街づくりの話しを、少しお散歩しながら、ゆっくりお食事しながら、聴く。再開発でありながらも、古くて古い蔵を残した時のこと。「大火をくぐり抜けて残った蔵を残せないで何が街づくりか」という家主さんに、当時、法運用上(まったく)可能ではない状況にかかわらず、「蔵は必ず残します」と約束し、3年の時を経ながらも、その約束を果たす。「素人だからできた」再開発と古きものとの併存。実際、最近できた飲み屋街も、古民家と普通の建屋と出来たての店舗が混在する。区画は細かく、路地も、防火用とし整備されたものが、いまでは人の賑わいを呼ぶ空間となっている。かつてジェーン・ジェイコブズが言った、街の多様性を保つためのミニマルな条件、住居とオフィスの混在(多機能性の担保)、古い建物と新しい建物の混在、小規模ブロック化による曲がり角の存在(あと、多様な階層や民族の混在)。なんだ、ニューヨークにいかなくたって、トロントにいかなくたって、「タウン」はここ南信州に在ったんだ。今年最初の遠足。発見。改めて思うこと。また楽しからずや。

街づくりの話しでも、民主主義の話しでも、柳田國男の話しでも、トクヴィルの話しでも。寛治さんの話しに基底するふたつのこと。自治の大切さ。そして、続けることの大切さ。どこに行っても、どこに居ても。移ろうことなき、思想。
「最近、読書会をはじめたんです。月1回。10年間続ける、っていう約束で。」いつまで続くことやらと嬉しそうに云う、その口調も表情も。本当になにも。
寛治さん、いつまでも変わらずお元気で。そしてまた、たくさんお話しさせてください。