fragile そのはじまりの先に在る

釧路。氷点下10度前後にまでなる道東の深夜、露天の温泉に疲れた身体を浸しながら、ミュージック・セキュリティーズ代表の小松真実氏はこう云った。「AKは、バイトしながら、本当に苦労して苦労して、でも夢を追い続けて。で、ついに武道館ライブを実現したんです。僕たちは、彼のような人を支えたいんですよ。音楽であれ、事業であれ。」冷静(気温−10℃)と情熱(水温40℃)の間に身を委ねながら。こんなにも情熱的テクストを、つとめて冷静な口調で。

僕たちとミュージック・セキュリティーズとの出逢いは、2009年初頭、トビムシ設立時にまで遡る。当時、創業直後の会社と、社運を賭け新たなサービス・ラインを整えた直後の会社とが、「共有の森ファンド」という、運用期間10年ともなる金融商品を協働しようとしたのだから、投資家目線、投資家保護目線でみれば、その見方次第では、無謀、極まりないことだったかもしれない。が、僕自身、極めて自然な、必然的協働と感知したことを、いまも時折思い出す。いまでこそ、マイクロ・ファイナンス(クラウド・ファンディング)といえば、「セキュリテ」、と認知されるようになった同社のサービス・ラインも、当時は、金融商品取引法改正直後、プロジェクト&エクイティ・ファイナンス、即ち(事業体へではなく)事業それ自体への小口出資という、新しくて新しい試みは、当局的に、そして社会的に、どれほど持続性が在るのか全く未明だったといっていい。同様に、いやそれ以上に、僕たちの事業、岡山県西粟倉村ではじめた共有の森事業も、事実上の地上権設定(実際は包括契約)を通じ村内林を共有化し、同共同管理を村役場と森林組合とベンチャー企業の三者契約に基づき実施する、同時に、主たる事業原資を過疎債や補助金ではなく、マイクロ・ファイナンスという小口出資で賄う、という何もかもが初めての立付けであり、その持続可能性どころか、実現可能性さえ未明といっていい代物だった。こうして文字に綴ると、それが如何にfragileな協働行為であったか、刹那、色濃く浮き上がってくる。実際、この協働には多くの障害が在った(その多くは、当時、上場企業グループの事業会社であり、コンプライアンス上、多くの要請を抱えた僕たちに起因した)。が、小松氏の強い意志とリーダーシップ、それに基づく、同社パートナーの皆さんの真摯な心と献身により、共有の森ファンドは世に生み出された。そう、それによりはじめて創り出されたんだ。本当に、在ることが、在れることが難しい、難しかった、とてもとてもあり難い、契約を超えた、大切で大切な関係性。
そうした関係性は、その後も、ワリバシファンドユカハリファンドの組成へと引き継がれていく。特に後者は、別名、「西粟倉・森の学校 応援ファンド」と称し、創業以来、最も資金繰りが厳しい状況の中、まさに、同社の存続を賭すタイミングで組成、募集された。それは、金融機関として、非常に難しい意思決定であったと容易に推察できる。なぜなら、投資対象企業の倒産可能性が窺い知れる段において、金融商品としてファンドを組成する、というのは、事前にその内容及び程度を明示したとして、金融機関としてのモラル(ハザード)が問われる局面ともなり得る、からだ。にもかかわらず、同社は、僕たちの事業の存続を信じ、とても丁寧に、そして決して卑下することないカタチで、同ファンドを組成募集、実現してくれた。そのお陰で、本当にそうした同社の支援のお陰で、西粟倉・森の学校は資金的に最も厳しい時期を乗り越え、昨年、はじめての単年度黒字を実現、そして、国内林業事業体としてはじめて、国の重要施策である六次化ファンドからの出資を受けることができた。まさに、「ベンチャー死の谷」を越え、新たなフェーズへとその歩を進めることができたんだ。このことを、僕は、僕たちは、忘れない。忘れてはならない。

今回、道東の地で、実に5年半ぶりともなるシンポジウムでの協働を終え、熱湯に浸かること1時間近く、感傷にも浸る僕に、小松氏はつづける。「でも、そういうお手伝いができなかったら、僕たちも普通の金融機関と同じになっちゃいますから。僕たちが存在する意味がなくなっちゃいますから。」こんなにも情熱的テクストを、つとめて冷静な口調で。
僕は思った。このあまりにfragileにみえた関係は、はじまりのはじまりから、とても強固な意志にやさしく包摂されていたんだ、と。

追伸 ミュージック・セキュリティーズの皆さま、小松さん、猪尾さん、讃岐さん、そして、長く弊社を担当してくださる神谷さん、いつもいつも、本当にありがとうございます。そして、これからも、素敵な協働をご一緒できますよう、末永く、よろしくお願いします。