Yambaru 在る沖縄

その日、僕は、4年ぶりに沖縄の地に足を踏み入れた。北海道(新千歳)からの直行便、気温差13度は想定の範囲にあったものの、40%に及ぶ湿度差に軽い目眩を覚える。沖縄らしいな、と感じたのもつかの間、車窓から見る風景に以前は僅かながらも常に覚えた、なにか異国の地に辿り着いたような感覚が一切惹起されないままに、僕を乗せたタクシーは宿泊先へと辿り着く。白いRCの建物が多いことを除けば、本土の中核都市と全く変わらない、沖縄県(圏)最大の都市、那覇。そこが今回の滞在拠点だった。
その夜、(往復書簡でお馴染みの)中渓宏一くんの紹介で、ひとりの人物に会った。中村圭一郎くんだ。彼は沖縄に移り住んで16年、すっかりウチナーンチュに溶け込んだ、観光プロデュース事業を営むナイスガイ。そんな彼に、僕は、どうしてもヤンバルの森を視て聴いて周りたいこと、其の地で其の地や其の地に在る生命を慈しむ人に会いたいこと、を、一定の熱量を以て伝えた(と思う)。すると中村くんは、その場(居酒屋)で、多くの人の名を上げ、多くの人へ電話しFBで呼び掛け、(文字通り、まさに)あっという間に、僕が望み得る最高の行程をデザイン&プレゼントしてくれた。肩肘張らずに、普通に平易に。それは、とても有り難く、そしてとても懐かしい、ある意味でとても沖縄的な、温かくWetな場面だった。 
翌日、僕は早朝に出立、那覇から2時間ほどかかるヤンバルの地、北部三村(国頭、東、大宜味)へ向かった。そこで、たくさんの人と会い、たくさんの話しを聞き、そしてたくさんの森を視て、森が奏でる音を聴く。ヤンバルの森、そこに棲む生物、その生態系を守るレンジャー(自然保護官)、国立公園(及び世界遺産)の実現を企図し奮闘する人、地元の木で創ったおもちゃと空間を子供たちに提供する人、朝も昼も夜もヤンバルの森をガイドしながら多くの人に森の尊さを伝える人、循環型農業を丁寧に為しながら其の地のもつ潜在顕在の地力と魅力を伝え得る素敵なカフェ(と宿)を営む人、木を使うことで森の未来をつなげることに希望を捨てないでいる人、そうした人たちから、たくさん、たくさんの話しを。
その日、僕はまったく幸福だった。そして気がつくと、ヤンバルという地の虜になっていたんだ。

先日、いとうせいこうさんの、「東京の西から東をみる」という言葉をこのブログで紹介綴ったばかり。でありながら(であるからこそ)、僕は、ヤンバルからの帰り道、沖縄(本島)というその全体に不可欠と思しきフレーズを覚えた。「沖縄の北から南をみる」というフレーズを。沖縄において、「南」は(東京の「東」と同じく)、都市の視点、貨幣資本(経済)の視点。だから、南からみる沖縄の北、は、人が少なく土地が安く不便で生産性が低い、ということになる。けれど、「北」からの視点、すなわち(東京の「西」と同じく)、森の視点、自然資本の視点で、沖縄の南を、そして沖縄(本島)全体を捉え直す必要があるんじゃないか、って。北、このヤンバルは、イタジイを中心として広葉樹林が生い茂り、その拡がり在る美しい風景をもち、水も、そして(結果的必然として)生態系も豊か、だ。がゆえに、沖縄(本島)全体の水をほぼ賄う国営ダム9つ全てが北部(広義のヤンバル)に集中する。そしてそのうちの6つが北部三村(狭義のヤンバル)に在る。石灰岩地質の(中)南部は、水(と、それを育む森)が乏しく、面積で3割強にかかわらず人口の9割が集まるその生活は、7割弱の面積で人口1割の北部が担っている。それはつまり、沖縄(本島)は北が在ってはじめて南も存れる、ということ。沖縄(本島)全体が人を含めた自然総体としてひとつのコロニーである、ということ。
光景、夕日に照らされる名護湾を眺めながら、僕は、国道58号線を走っていた。「沖縄の北から南をみ」ながら、そのことを強く想いながら。

追伸 沖縄で出会った皆さまへ、この度は大変お世話になりました。皆さまのお話し、そこで過ごした時間、本当に本当に愉しかったです。次なる機会は必ずや、ヤンバル、悠久の地で過ごしたいと思っています。