廃校 you’ve got something there

二週ぶりに訪れた奥多摩。高台の廃校。眼下、湖にそそぐ小川は水量を増し、木々は芽吹きはじめる。そして校庭の桜は、都心に遅れること二十日、その日、満開を迎えていた。そこへ、東京おもちゃ美術館の多田千尋館長他、芸術教育研究所の方々を含む5名が訪れる。其の地の拠であり、我々の拠でもある、旧小河内小学校。みな、その空間全体の美しさに、木造校舎の趣きに、教室の可愛らしさに惹かれ、その絵姿、その纏う空気に触れ浸る。すると、アプリオリに、この場所なら何かができる、この場所で何かをしたい、という声が流れる。想いが和がれる。もちろん、何事も簡単ではないけれど、何かができる、何かをしたい、という気持ちが芽生える、それがすべての、はじまりのはじまり、なんだ。

僕は、まだ冬の気配を残していた4月初頭にも、(往復書簡でお馴染みの)R不動産の林厚見氏とこの地を訪れていた。彼は云う、「空間と人間が、時間とともに呼応し変わっていくのがいい」と。廃校は、何某かのカタチで利用されるまで、人が足を運ばなくなり、空間と人との呼応は途切れ、多くは完全にその呼応をなくす。人の痕跡と人の離れた寂寥だけが残る、そうした空間だ。実際、人との呼応を止めた空間、という点で、放置された森もシャッター街も等しい。けれど、寂寥以外の何かを感じさせる、惹起させる、創造さえさせる、廃校、というものが、稀に確かに存在する。数十年、ときに百数十年もの間、数多の子供たちが人生の大切なひと時を過ごし、学び遊び、そして数多の大人たちがそうした子供たちに向き合ってきた、その個々人にとって取替不可能な時空間、その積み重ねから成る、のが、地区々々の学校という存在。だとして、廃校となってからも決して、地元の人たちの思いが、卒業生たちの想いが離れず、何某か関わる機会が失われなかった、人との呼応を止むことなかった空間、そこには、ノスタルジーの外に、能動性を惹起する、呼応を求める、そんな空気が流れている、のかもしれない。「空間と人間が、時間とともに呼応し」続けている、のかもしれない。特に、この旧小河内小学校は、廃校となって十年という時が過ぎたとはとても思えない、ついこの間まで、そこに子供たちの声が響いていたと思えてくる、それほどに綺麗で優しい、空間と人との呼応を感じることができる。それほどに強く優しい、地元の人たちの思い、卒業生たちの想いを感じることができる。その長くつづく廊下を渡り階段を降りた踊場の窓から、校庭に咲く満開の桜を眺めながら。新緑前の奥多摩湖畔を遠目に。

全国に数多ある過疎(中山間)地域、その同一構造上に奥多摩町は在り、小河内小学校区も在った。がゆえに、10年前、全国に数多ある廃校、そのひとつに小河内小学校も加わった。その構造はいまも変わらない。がゆえに、廃校は、いまも全国に増え続けている。数十年、ときに百数十年もの間、数多の子供たち大人たちが創り重ねてきた、呼応し続けてきた、その個々人にとって取替不可能な時空間、その積み重ねから成る、廃校というものに、廃校が在る構造というものに、僕、僕たちは、真摯に丁寧に向き合っていかなければいけない。本当に。いま在る学校が地区から失われないように、もし廃校になったとして、人の関わりが離れることないように、森と共にある地域の「空間と人間が、時間とともに呼応し」続けることができるように。

画像提供:瀧本大一郎