Dialog 描き標すための

一昨日の夜、西粟倉・森の学校代表取締役(トビムシ取締役)の牧大介と、東京駅の居酒屋で(新大阪行き新幹線の最終を待ちながら)呑み語らった。彼とは、互いにせわしく(移動)している割によく時間をつくっては話しをする。そして、その時々、事業経営周りの諸確認をなすとともに(それ以上に)様々なアイディア出しをなす。対話。形式張ることないブレスト。そういえば、昔(といったって5・6年前)からよくそんなことをしてきた。特にトビムシ創業前夜から創業間もない頃は、意識的に出張を共にするようにした。そこでは、出張上の形式目的は(視察であれ打ち合わせであれ)時間的制約を極力少ないものとし、残りすべてを想像的創造の時間にあてるよう心がけてきた。例えば、午前中で十分視察可能な林業機械展(@今治)に赴き、その後、お昼過ぎから都合10時間以上、語らい続ける、というように(お好み焼き屋→喫茶店→寿司屋→居酒屋、と、単なる呑みのハシゴ、ともいう)。また、車での長距離移動も意識的におこなった。実際、互いに前方を眺めならの対話はとても生産的だ(ちなみに、この方法はいまも意識的確信的に行っている。仮に電車他の移動手段の方が効率的であっても、自動車移動&ブレストの方が効果的であったりするためだ)。車中片道3時間×2。結果的に、相当濃密な時間を過ごすことになる。トビムシの輪郭は、そうした車中(の対話)で色濃く描かれたところ決して少なくはない。

そういえば(@二度目)、牧大介とのはじめての対話(ブレスト)は、僕がGreenishvillageというブティックの(環境)コンサルティング会社を経営していた時、そのオフィスビル最上階のラウンジだった(ちなみに、同ビルは、往復書簡でお馴染みの林厚見氏がCFOをしていた会社の所有だった。そのことは後から知ったことで、当時は互いの存在さえ知る由もなかった)。まったくアーカイブ化されていない僕の(微かな)記憶を手繰り辿っていくと、実は、共有の森ファンド的な、すなわち、地域において(公的資金ではなく)意思あるお金を原資に事業を行うことの必要必然的文脈がそこに既に在った(と思う)。決して、常に具体的アイディアを温めておき、同アイディアを出しあう、ということではない。相互に持ち合うピース(社会的事業的要素)を出しあい、同ピースを並び替えているうちに、(あくまで)結果的に一枚の絵(的なモノ)に整理される場合もあれば、抽象画とまではいえない抽象的絵柄が浮かんだことにインスパイアされ、関連するあるいは全く関連しない具体的絵柄を浮き上がらせる、といった場合もある。いずれにしても、時間的制約と形式的成果の要請を極力排除しながら、都度、なんどもなんども対話を繰り返し繰り返す、そうした営みが、いまここのトビムシ(グループ)を形創っている、その礎をなしている。そして、これからも。

事業というものは予測通りにいかない(ことが多い)。そして、予測通りにいかないその時こそ、「経営(の姿勢)」が試される。移ろう社会(市場)環境を前に、本質は移ろうことなく表面的活動は移ろう、そうした場面が多々間々生じる、この「(逆に記せば)表面的活動は移ろいながら本質は移ろうことがない」ことが極めて(どころではないほど)重要だと思っている。が一方、外見的現象としては相当移ろうことになりながら、本質は決して移ろうことがない、そのことを経営者間で確認確信しあう、そして経営以外の大切な人たちにそのことを理解してもらうのは、(外見的現象が相当移ろうことになるだけに)とても難しい。が少なくとも、日頃の対話の中で、その本質、そして大きな方向性について合意形成がなされていれば、大きな問題は生じない(生じないでいる)。このことは、本当に(本当に)大切なことだと思っている。

そういえば(@三度目)、昨日は鎌倉投信の新井さんと、ハーブティを飲みながら、長い時間語らっていたな。大切な人との大切な語らい。かけがえのない、大切な時。