Peaceful easy feeling 本の在る暮らし
僕は本が好きだ。そもそも本それ自体が好きだ。大きさ厚みに表紙のデザイン、カバーの紙質。素敵な本を眺めていると、なんともいえない幸福感に包まれる。僕は本屋が好きだ。そもそも本が並んで在るのが好きだ。素敵な本屋の書棚を眺めていると、やっぱり幸福感に包まれる。そしてこの日も本屋にいった。お目当ての本は一冊あったけど、別になくたってかまわない(ことがほとんど)。隣駅の大きな本屋、そのFコーナーが僕のお気に入り。そこから二冊の本が仲間入り。その後この日もカフェにいく。デカフェのホット、グランデサイズ。僕は本屋の後カフェによるのが好きだ。そもそもカフェで本を読むのが好きだ。さっきまで書棚を彩っていた、その本を手にしながらのコーヒー。そしておかわり。いつもある、休日のお昼まえ。
いつから本を読むようになったかは覚えていない。小学校に入った頃、伝記かなにかを読みはじめたような。クラス一早熟な女の子に勧められた島崎藤村の「破戒」は読めなかった(当たり前だ)。夏目漱石の「坊ちゃん」は読めた(愉しかった)。その「坊ちゃん」、サンタさんに(頼んでと母に)頼んだら、12月24日の夕方、母の鞄に在るのを発見、それなりにショックを受けたような。サンタの実存を信じていたのだから(やっぱり)それなりに小さな頃だったと思う。
親に絵本を読んでもらった記憶はない。記憶がないだけで、実は読んでもらったのかもしれない。と記憶を改竄しようとしたけれど、そもそも家に絵本がなかったのだから、おそらく記憶違いではない(と思う)。そうだとすると、小さな頃から子供に絵本を読んであげると、その子供は本好きになる、とよく言われる(ため、よく読んであげて下さい、とよく言われる)けれど、僕の実例を(省)みるに、絵本の原体験のみが本好きになる要素ではない(といえる)。そうだとしても、僕は子供に(そこそこ)絵本を読んでいる。「いいおかお」や「ちかみち」、「ぐりとぐら」や「ゴムあたまポンたろう」、「おおきなかぶ」や「三びきのやぎのがらがらどん」、「ちいさいおうち」や「100万回生きたねこ」などなど。おそらく、決して少なくはない(と思う)。だからといって、すでに絵本を卒業した上の子が本好きになるかはわからない(つい先頃までは「かいけつゾロリ」に、今は「名探偵コナン」に夢中で、いまだ活字読書には及んでいない)。最近、僕が家に居ると本を(トコトコ、ときにパタパタ)持ってくるようになった下の子が、将来、本好きになるかは(まったく)わからない。ふたりとも、本好きとまではならなくていいけれど、本の在る暮らしをしてもらえたら嬉しい、とは思う。本好きな親として。
先週、嬉しい知らせが(本好きの)社員から届いた。僕達のワリバシと話題の絵本「わりばしワーリーもういいよ」とのタイアップ。「わりばしワーリー割り箸」ひらがな+カタカナ+漢字、というキュート(?)なネーミングで、出版社HPのトップ頁に堂々(?)と紹介されていて。この絵本自体が日本の森の現況を風刺してるわけでも、国産間伐材割り箸の社会的意義が伝播するわけでもないけれど、実際に多くの子どもたち(をもつ親御さん)が手にとる絵本の主人公が、リアルな(多く子供たちにも手にとってほしい、使ってほしい)ワリバシとして、出版社企画で商品化され、ネットだけでなく多くの書店で絵本といっしょに扱ってもらえるということは、本好きで本屋好きな僕にとっては、ちょっと(どころではないほど)嬉しい。これを機に、シリーズとして長く続いたらいいな。鈴木出版様、(絵本作家の)シゲタサヤカ様、本当にありがとうございました。