time sense 刹那的で循環的な

神無月。新潟十日町。豊穣たる大地は、僅かに収穫前の黄金色を残すものの、多くはその施しを全うし、休息に入ろうとしていた。歳月流るる如し、土地々々で繰り返されてきた移ろいなき風景、秋の詩。そうした農耕的time senseが色濃く残る空間で、三年に一度の祝祭の準備がはじまっていた。「祭」という、自然のリズムに軛されている土地々々の営み、を芸術創作と共に為す試み。僕は、その本質的在り様を覚知しようと、友人に誘われるまま、その日その地に足を踏み入れた。

アートは地域を変えられるか、といった(ような)命題をよく耳にする。Newcastleを先例(の一つ)に、国内外において、芸術と地域の共創、芸術による地域活性化、的な施策が数多なされている(ように思える)。個人的には、現象としては変えられる、としても、それはあくまで、アートそれ自体が地域を変えるのではなく、アートを活かして、アートを通じて地域を変えようとした「人」が変える、ことだと認識している。が、そうした話しは横に置いたとして、この越後妻有の地で行われる『大地の芸術祭』はじめ、多くの場所で芸術「祭」が、芸術と共に在る「祭」がなされていることについては、常に思い想うところが在った。「祭」が、festivalであれcelebrationであれ、「祭」である以上、そこに不可欠な要素として、垂直(過去からの時間)・水平(地域and/orコミュニティ)の共属意識、と、もう一つ、自然と共に在る循環的時間感覚、より直截的には、農耕的時間感覚が在ると感じている(他に準備や踊りなどの共同身体性も入ると思うけど)。四季折々、土地々々の日常(ケ)における営み、その主たる営みとしての農耕、それら二度とない瞬間が毎年繰り返される、という感覚、風景の中に、「祭(ハレ)」が在る、のでなければ、それは本来的意味における地域の「祭」ではない、と。ましてや、『「大地」の芸術「祭」』だ。農耕的循環的時間感覚との結びつきなくなされることなどあり得はしない。そうした思いにふけながら、この大地を創ってきた大河信濃川、圧倒的迫力を有する河岸段丘を越えると、其の先に、農耕と共に在り続け、農耕に依拠した関係性、共属する想い、その上に立った尊い場所、が在ったんだ。

今回、声をかけてくれたのは、東日本大震災復興支援財団他、様々な地域及び事業で活躍する荒井優氏。この数年、福島を中心に被災地支援に奔走しながらも、復興だけでなく、その土地々々の子供たちの未来のために、その土地々々の人々と新たな手立ての実現を丁寧に図っている人物、だ。その荒井氏が、今回、紹介してくれた、限りなく、漢、に近い、男、人物が、鞍掛純一氏だった。日本大学藝術学部の教授である鞍掛氏が、芸術家としてどの様な存在であるかは、芸術、ましてや彫刻が何たるか語る術を持たない僕が伝え得ることはほとんどない、けれど、同氏が、十日町市松代地区、その峠(住所名も同じく「峠」)で紡いできた関係性、その関係性の上に立った作品(群)は圧倒的で包摂的、だ。代表作、『脱皮する家』は、制作に2年、延べ3000人工を要したことが伝えられるが、それ以上に、その在る峠という集落の人々との関係性に強く印象づけられる。感動すら覚える。実際、訪いを入れたその日はちょうど収穫繁忙期。とても忙しい朝の時間帯にかかわらず、鞍掛氏(に伴われる僕を含めた面々)の訪問を収穫直後の新米と採取直後の天然舞茸と共に歓迎してくれた。それは、まさに、秋のひと時でしかあり得ない、それでありながら毎年繰り返される、刹那的で循環的な、とても優しく温かい日常の営み、光景だった。そうか、こうした日常(ケ)の上に、こうした循環的関係性の上に、この芸術作品は在ったんだ、祭(ハレ)は在るんだ、と。I don’t wanna cry, なんだか涙が出そうになる。その瞬間、僕は理解した。この地でなされてきた、なされていく、「祭」の在り様、というものを。

2015年夏、2000年にはじまった『大地の芸術祭』は6回目を迎える。第3回から出展する鞍掛氏は、今回、同じ松代地区でありながら、その関係性を築いてきた峠という山の集落を降り、室野という里の集落で新たな関係性と作品を創作することに。豊穣の水が生み出される山々、森の麓から、その山の民と里の民が出会ってきたであろう河の州へ、と。其の地で毎年繰り返されてきた光景に、Triennial、三年に一度、刹那的循環的になされる「祭」が、これから重ねられていくにちがいない。

画像出典:http://www.echigo-tsumari.jp/