Framing その外に在る、かつてから在る、

夜の首都高。助手席に座る僕の左側を東京タワーが通り過ぎる。友人であり、写真家の井島健至は、羽田方面へとハンドルを切りながら、視線を前に応える。「僕にとって揺るぎないことは、世界はすべて語りかけてくる存在だ、ということなんです」。彼のフレーミング、その投影する対象は、有機物か無機物かの別がない。生物であれ鉱物であれ、天然物であれ人工物であれ。その、世界を形成するあらゆる事物が彼に語りかけてくる、ことへの呼応。音でも詩でも絵でもない、彼にとっての呼応表現。写真。

その日、僕は、「津田直×中沢新一『縄文のフィールドワークや自然信仰、写真におけるシャーマニズム』」に足を運んでいた。「目に見えない世界を写真によって翻訳するのが写真家の仕事」と云う津田氏の写真と、その写真(の在り様)に対する中沢氏の論を観聴きしに。僕は、それまで、「目に見えない世界を写真にする」ということの意味を、きちんと理解できないでいた。目に見えない世界を、音にする、詩にする、絵にする、ことは想像できる。創造さえも(一部)できる。けれど、写真、という、写実的でさえない、「いまここ」のリアル(は、「いまここ」の積み重ねであることぐらいは理解している)、その画像に「目に見えない世界」を投影する、ということの本来的意味を腹に落とせないでいた。在るインスピレーションを、フレーミング以外に、抽象であれ具象であれ、固有なものとして表現する作法、というものを。
その日、中沢氏は、土地の記憶という目に見えないものを写し出そうとする津田氏の写真を、人間が「世界」にした意味づけ(中沢氏はこのことを「嘘」と云ったりする)を丁寧に剥いでいく俳句というものに似ている、と囁いた。一見(一聞)、見えないものを見える化すること(無→有)と、在るものを剥ぐこと(有→無)、は真逆ではないかと考えがち、だけれど、人間が意味づけしたものではないもの(目に見えないもの)を写しだすこと(写真)と、人間が意味づけしたもの(目に見えるもの)を剥ぐこと(俳句)、という様に視点を整えることができるならば、中沢氏の云う相似性に得心がいく。その美しいまでのメタファーに驚嘆さえする。
中沢氏の常なる論考、メタファー、即ち、「喩(ゆ)」のこと。「喩とは、二つの対象の間に感じ取られる『似ているところ』と『それぞれ独自なところ』を、同時にとらえることを可能にするメカニズム」だと説明する。そして、その「喩」の存在こそが、われわれ現生人類の圧倒的特性(ネアンデルタール人との最大差異)であり、それこそが、デジタルな唯物的なものの見方を超えた、想像的創造空間を生み出す要因であり、われわれが、芸術と宗教を生み出すことができた唯一の拠である、とする。中沢氏は云う、特にこの200年(貨幣中心社会、もっと云えば、貨幣隷属社会)の間、貨幣的マテリアル的意味づけのみを為してきた結果、よほど「嘘」に囲まれた、「中間領域」という遊びの(少)ない「世界」になってしまっている、と。がゆえ、そうした「嘘」の意味づけを剥ぐ写真、生と死の、真と虚の「中間領域」を浮き彫りとする写真、は、とても大事な、大切な営為である、と。本当にそのとおりだ。「いまここ」のリアルを画像化してなお、フレームの外に在る「世界」、かつて在った「世界」を見る者に惹起させる、写真、という営為の尊さを、心の臓でわかる一瞬だった。

ふたりの対談の途中、井島健至が撮影場所の富山から会場に駆けつけた。その後間もなく対談は終わり、中沢氏と久しぶりに三人で語らう機会を得る。そして、対談を観聴きしてなお、対話してなお(したからこそ)浮き彫りになる、写真という営為についての興味と懐疑を、僕は、帰りの車の中で、井島健至という写真家を通じて理解しようと試みる。彼は、冒頭の応えのように、清々しいほど真摯に応えてくれる。そして、僕は多くを理解した。理解することができた。「すべて語りかけてくる存在」としての「世界」に呼応するように、彼は、僕の語りかけに呼応する。写真に、写真を通じた「世界」に向き合う姿勢、真摯な清々しさは、彼の在り様そのものだった。

追伸 井島健至様 いつも本当にありがとう。東京の森を起点に、「世界」の森と都市の同期に対し、共に呼応できたら幸い、です。

画像:井島健至