text in context 在る中に在り

新年。過去から未来、時の潮流に在る2014年。連続的なものとして在るその位置を考える。世を經(おさ)め、民を濟(すく)う「経世済民」という言葉が、economyの訳語として「経済」になった必然的帰結として、いまでは、社会がどうあるか、ではなく、経済(景気)がどうなるか、に、世の関心のほとんどが集まっている(ようにみえる)。社会のために経済がどうある(べき)か、ではなく、経済(環境)がゆえに社会がどうなってしまう(制約される)か、が、世評の、語らいのほとんどである(ようにみえる)。トビムシも、そうした社会潮流の中に在る。消費税アップ前の駆け込み需要、その最たる住宅市場、その最たる木材市場、その高騰の中にトビムシも在る。国土強靭化政策、東京オリンピック、その履行その準備に係る(公共)需要、その最たる建設市場、その最たる土木市場、その興奮の中にトビムシも在る。
トビムシが創業した2009年、リーマンショック直後、グローバル金融資本主義の終焉が謳われ、本物の時代、本当の豊かさが求められる時代への変化が語られた。その2年後、東日本大震災が起こる。いよいよ、社会(価値)認識が変わる、変わる方向に在る、と、多くが思い、多くが論じた。にかかわらず。いまここ、2014年が在る。経済がまわれば社会がまわる、という、社会(価値)認識のままに、その中に、トビムシは在る。

僕は、東日本大震災の後、こう綴っていた。「『国家興隆すれば、理想を以て生活とし、国家衰退すれば、生活を以て理想とす』 関東大震災の後、昭和という時代の幕開けに、徳富蘇峰が綴った言葉。我々の先達が、明治・ 大正・昭和、近代という時代を駆け抜けるに際し、生活、より正確には、生きる、ということに執着する、執着せざるを得ない日常があったとして、それは決して、その時々の『生活を以て理想と』したのではなく、近代が実現するであろう未来、豊かな社会という『理想』 に向かって、坂の上の雲を掴みとろうと生きてきた、『生活』としてきたことと思います」と。震災後、生活、そのこと自体が厳しい世の中になったとして、なるのであればこそ、僕、僕たちは、「生活を以て理想とす」ることなく、「理想を以て生活と」するんだ、トビムシの掲げる「理想」への懸け橋を留めつなげるんだ、そのことを再確認するために。

トビムシは、本年二月に創業5年を迎える。迎えることができる。それは「信認」に基づいた多くの方々の支援あってこそ。その礎たる「信認」に違わぬよう、トビムシは、どのような社会(価値)認識に在ったとして、在る社会のためにトビムシが在り、そのための大切なモノとして経済(事業収益)が在る、ことを改めて思い留めながら、この2014年という一年を、過去を継ぎ未来に繋ぐ一年を、過ごしていきたいと思う。

photo by 井島健至