歳月 The year 2013

消光。無事に年を越すことができる。2013年という年を。
確実に在ったのは希望と責任のみだった年始。厳冬期をやり過ごし、西粟倉の森から雪がその姿を完全に消した頃、時を同じくし、西粟倉・森の学校は、「長い2010年」を終え、ひとつのカタチを現しはじめた。それは、地域が、その地域の名で、都市や他の地域との、其処此処に棲まう人との関係性を創り、そこに、物と貨幣の、役務と貨幣の交換、それらと併せそれらと別のナニかを贈り贈られる、というカタチ。地域が、漠然と仲睦まじくまとまる、漠然と希望をもつ、というカタチではなく。地域が、地域の何某や誰其れが、都市で名を馳せる、都市社会で知られた存在になる、というカタチでもない。一般的意味における計画も戦略もないまま、経験と経験的科学に裏打ちされることなどなにもないまま、希望と責任のみに投影され、浮き彫りとなったカタチ。それは、ひとつの、たった一つのカタチの現れに過ぎない。でありながら、月の満ち欠けが、どんな満ち欠けであれ、地球の在り様を知らせるように、その存在を信じさせるように、西粟倉の現すカタチが、自ら在る地域、森とともに在る社会、その在り様を知らせ、その存在を信じさせる。ことにつながる。

西粟倉からの投影、それは東京から眺めることができる。そして他のあらゆる場所からも。いつの日か、東京・森と市庭からひとつのカタチが現れるに違いない。様々な場所から様々なカタチが現れるに違いない。そして、いついつの日か、地域が自ら在る、社会が森とともに在る、そのことが、月の満ち欠けから類推せずとも地球が在るように、平易に在る。ようになることを。
決して平易ではない、過ごした2013年という歳月を想いながら。

画像出典;http://www.nao.ac.jp/contents/astro/gallery/SolSys/Moon/moon_a2.jpg