江ノ電 Happy recollections of my

師走。年末。僕たちの活動に広く深いご理解とご支援を頂いている、いい会社サクセスホールディングスさん、の(いい)取締役、野口さん、に年末のご挨拶(?)に伺ったその後に、とてもとても久しぶりに、江ノ電に乗った。しかも、ツイてることに古い車輌に。午後のひととき、藤沢から極楽寺までの行程は、その物理的事実としての風景も、そして心象風景も、とてもキラキラしていて。江ノ電を通学に使っていたわけではないけれど、高校時代の思い出の数(十)ページを過ごした鎌倉、その時代、もっとも眩しかった光景が眼前に拡がると、心にも光が差し込んでくる。小さくない江ノ島を眺めながら腰越駅を出る、と、地球の丸さを(ぎりぎり)想像できる、相模湾がひらけてくる。ここから(鎌倉高校前・七里ヶ浜を経る)稲村ガ崎までの光景は、僕が語るまでもないだろう。そして、ゆっくり呑気に海とお別れしたその先に現れるのが極楽寺駅。そこにはかわいい木造駅舎がちょこんとある。改札口の横には朱色の郵便ポストがちょこんとある。新緑の時期ならコントラストが(これまた)眩しいだろうな。来年5月に再訪することを胸に誓いながら、(本物の)極楽寺の横を抜け、またひとり、大切な(いい)人に、年末のご挨拶へと。

僕が偶然乗った(乗れた)古い車輌、300形は、床が木の板だ。塩害が厳しいこと想像に難くない江ノ電。そりゃあやっぱり、木(モク)がいいよね。と思う。床だけでなく、手摺も座席の肘掛けも、ぜんぶ木(モク)にすればいいのに。とも思う。だって、キラキラした光景と引き換えに、潮風をずっと南から受けるんだから。もちろん、その方がチャーミングだし。手(足)触りも優しいし、そして目にも優しいし。
そういえば、丸の内朝大学の生徒さんたちが、そんな(通勤電車に木を使う)提案をしていたな。ストレス多い(強い)都市では鉄と非鉄、あとプラに囲まれて。ストレスが少ない(弱い)と覚しき江ノ電界隈では、車輌の足元が木(モク)だなんて。不公平が過ぎる、とも思うけど、その解消は、江ノ電をツルツルテカテカにするんじゃなくて、都市の通勤空間を木(モク)に変える、方向で実現しないといけないな。

ふたり目の(年末の)ご挨拶を終えた後、極楽寺駅から江ノ電に乗ろうかと、極楽寺トンネルを潜ろうかと思ったけれど、夕方のキラキラを右頬に受けながらお散歩する誘惑に駆られ、鎌倉駅まで歩いて行くことにする。極楽寺から坂を下り、まさに「坂の下」を抜け、ゆっくり呑気に森とお別れすると、(ゆっくり呑気にお別れしたばかりの)海と再会。この感覚。がとてもいいな、と思っていると、もうそこは由比ヶ浜。高校時代の「浜ラン」折り返しポイント。当時は、それなりにタフに走っていたのかもしれないけれど、今では、学校のグランドを抜け、鎌倉の小山を抜け、海につながる一本の道を、海へ向かって走る、走り抜ける、その開放感しか覚えていない。
そっか、もう鎌倉駅か。その日最後に会う人との約束まで1時間弱。かつてはなかった御成町のスターバックスでブログを書こう。そう、今日、江ノ電に乗って眺めた、江ノ電沿いを歩いて浮かんだ、そして、心に差し込んできた、光の景色を。