秋の空 I can’t do it alone I’ve tried

神無月。の日曜日。昨今は春(又は初夏)開催が多くなっている運動会(理由は未明)、10月生まれの僕としては、勝手ながら、運動会は常に誕生日と同期した秋の大イベントと(相場は)決まっている。そのため、台風リスクは常に織り込み済み、なはずが、前夜の台風接近予報、そして明らかに風が強さを増してくると、子供のそわそわが伝播する。組み体操の練習に身体を痛めながらそのお披露目を愉しみにしてきた娘。を前に、秋なんだから台風がきたらきたで仕方がないとも云えず、そして何より神様不在の月にも関わらず、父親として(唯一)できること、テルテル坊主をつるす。娘がつくり(雨除けメッセージ入り)、父がつるしたテルテル坊主。そしたらどうだろう、一夜明け、いたずらな風はその強さを増したものの、泣きだしそうな雲はその厚みを増したものの、テルテル坊主のお陰(?)で、子供たちが、島のみんなが心待ちにする秋の運動会は、無事(?)、開催にこぎつけた。

そんなテルテル坊主の創作と時を同じくしながら、昨年の運動会、僕が参加した綱引きシーンを綴った文章を思い起こす機会が(偶然も必然に)在った。季節同じく秋深まる頃、天気異なる秋晴れの日。のこと。

<空を見上げて>
秋の風物詩、運動会。綱引きに参加した際のワンシーン。身体を後ろに反らせ、綱に可能な限り自らの体重を乗せながら引く。小学生以来の綱引きに、そうした綱引き本来の動きを忘れ腕のみで引こうとする素人(私)の様に、地区の誇りを賭した戦の敗色気配に、我慢ならぬ地元のおばちゃんが叫ぶ。「あんたぁ、前ん人の背中ばっかみとらんでぇ、空みんさい!」
事細かな技術指導の必要性とは別、勝負所の一瞬、その刹那に、本質を伝えるということ。伝えきるということ。その叫びは、忘却の彼方に在った身体を、一瞬にして、負荷なく力を生み出し、その力をひとつの方向に注ぎ得る身体へと変貌させる。
一年で最も爽やかな季節、秋晴れの一日に私が得たモノは、綱引きの技術、本質を伝播する意思、そして、どこまでもつづく空の青さと雲の白さ、だった。

天気なんて(ひとで)どうなるものでもない。綱引きなんて(ひとりで)どうなるものでもない。でも、それぞれが念じ、それぞれが頑張る(踏ん張る)。結果は思うようにならないかもしれない。それでも、やっぱり。テルテル坊主をつるしては空を見上げ、綱を引いては空を見上げる。なんとも移ろいやすい、秋の空を。

かつての出雲の国(を含む)島根県、に在る隠岐諸島(に含まれる)中ノ島。そこに、出雲大社に集まった神様の思し召しが。神在月の奇跡が。あったのかもしれない。

photo by 井島健至