ただともだちの話のあるいくつかは心に残り、他のいくつかは忘れてしまうように。

「その夏、私は17だった。そして私は全く幸福だった。」と云う(サガンの綴る)セシルと同じ様に、その(真夏の様な)冬、僕は17だった。そう、高校2年生の冬、部活(アメフト)の県大会と重なり修学旅行に参加できずに戻ってきた少なくないお金で、僕は生れてはじめて、パスポートなるモノを手に、Where America’s Day Begins、グアムの地に立った。憧れの海外、アメリカ(圏)に辿りついたことで、はしゃぎ過ぎるほどはしゃぎ(過ぎ)、二日目でB面(背中)を焼き過ぎるほど焼き(過ぎ)、強い日差しに肌を露出し得なくなった僕は、であれば、と、三日目以降も海ではしゃぐ部活の仲間たちを横目に、キャディさんの(様な)格好となり、モペットを借り、そして全く見知らぬ世界へと出立した。果てなく拡がる空、キュービックな白い雲(海)、鬱蒼と深緑な(熱帯雨)森、限りなく透明に近い海、の在る世界へ。
灼熱な on the road、僕は(17のセシルと全く同じく)全く幸福だった。そう、10ドル札数枚と若干のクォーターをポケットに、ゆるやかな坂道をなんとか登る頼りなさげなモペットで、僕ははじめての旅に出た。移動ではなく、観光でもない。人の声(謳)を聴き、その土地に、風景に佇み、ただただ在ろうとする。旅。仲間らと(修学旅行代わりに)企てた初の海外旅行は、僕のはじめての旅となり、そしてはじめから僕を虜にした。眼前と共に心が拓けたその感覚は、いまなおそのままに残っている。

それから四半世紀(弱)。この日のタイトル(そもそもでいえば、このブログのサブタイトル)として拝借したテクストの綴り手である管啓次郎氏、同氏の「旅の可能性を考えない定住者に現実を変える力がないのと同じく、定住の意味を知らない放浪者は頽廃に沈むだけだ」というテクスト(こちらも勝手に拝借)を想いながら、僕はいまも旅の真っただ中に在る。視聴きする場所をかえ、手にする本をかえながら。回廊の清寂、傍にlyricを聴く「悲しみよこんにちは」@NYクロイスターズ、急流の川音を他所にする「宇宙船とカヌー」@東京奥多摩、階下のTV音を(不覚にも)耳にしながらの「狼が連れだって走る月」@横浜鶴見(のアパート)、and so on。空間移動の有無を問わないこうした旅は、限りある人生の限りを限りなく限りないものとする。してくれる。人の話を聴き、土地の謳、本のテクストを詠み眺めることで、僕の人生、僕の想像的創造社会が拡がっていく。

そんな時間的空間的拡がりを創ってくれる、旅、人や本(や、あらゆるモノ)を綴りながら、時にそこで通い合う人たちとの対話と共に、いままでに出会った、そしてこれから出会う(であろう)人たちに、僕のいまここを、この日のタイトルのように伝えていけたら幸い(です)。

photo by 井島健至