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 — Vol.03

竹本吉輝から中渓宏一氏へ2

September 20th, 2013

宏一くん、先日の新潟への旅路は愉しかった。
燕三条まで4時間ほどのドライブ。そこでの対話。まずは同車中でのEVhonda株式会社の本田昇さん、彼の占い(?)にはびっくりしたよ。あたってることもあればあたってることもある、ぐらいあたってて。そして、僕(を口説くため)のキーワードが「本気」というのも笑えた。同時に占ってもらった(初日案件アースラジオの収録周り、そのスポンサーたる貝印の)郷司功くん(を口説くため)のキーワードが「すごい」というのもスゴかった。その時も話題になったけど、宏一くんが僕と功くんを何某かの案件へ引きずり込むのに多くの言葉はいらない、「本気ですごい!」というだけでいいって(笑)。事実、ほとんどそんなことしか云わずに、結果的に僕らを東西奔走させてしまう宏一くんこそが本気でスゴイ訳だけど。
到着後まもなくしてはじまったスノーピーク社のHead Quarter@燕三条でのキャンプも最高だった。あの空間的拡がりとスタッフの人たちの献身さ、美味しい(地元新潟の食材をふんだんに使った)料理、そして皆との(呑み)語らい。宏一くんは、深夜、途中で消えてしまっ(て、他のテントで寝て)たけどね(覚えてる?)。まあ、朝起きたらちゃんと同じテントで寝てるんたから、その点もある意味で流石な訳だけど。

そして翌日。決して占い師ではない本田さんの会社へ前日同様のメンバー(思えば3人とも71年生まれのタメ歳だったね)で訪問させてもらって。そして、僕は生れてはじめて「改造EV」※なるものを運転した(させてもらった)。エンジンがないに関わらず、エンジンがかかってないことに戸惑うことからはじまって、何から何まで新鮮で、仮免取得後はじめて路上教習で公道を走った時以来の緊張と興奮を覚えて。そして本田さんの「バイパスを走ってきなよ」という思いつきな発言を受け、僕と功くんは二人で「旅」に出た。そう、まさにあれは「旅」だった(だよね功くん)。通常のドライブと異なり、どこまでどの程度走れるのかわからない改造EVで(結果的にとても快適にスムーズに走行するわけだけど)、僕らは師匠(本田さん)の指示にただ直向きに従って、ベタ踏みしながら、70~80キロ前後で走る一般車に囲まれながら、40キロ走行で(ベタ踏みが続くと、ピー!と警告音が鳴ることに本気でビックリしながら)バイパスを駆け抜けた。そして「旅」ではお約束、道に迷ったりしてね(笑)。でも、僕も功くんも、運転中、ずっと笑いがとまらないぐらい、愉しくて楽しくて。ああいう経験、つまりは日常シーンが未体験ゾーンに突如変わることへの戸惑いと興奮は、やはり(とても)刺激的で。いまとなっては、ただただ師匠本田さんに感謝する次第です。もちろん、その本田さんを紹介してくれた宏一くんにも。深謝。
2013年10月開催の改造電気自動車教室

その後、視察などを踏まえ、長岡駅でわかれ、僕と功くんは新幹線で東京へ、宏一くんは新潟港発のフェリーで小樽へ向かって。
どう?小樽では家族団欒な暖かい生活を満喫していますか。

次は西粟倉での再会になるね。はじめてのニシアワー、きっと素敵な「旅」になるはず。
ので、その日がくるのを愉しみに。僕も楽しみにしています。

竹本吉輝@筑南からの戻り

画像提供:Suzu

プロフィール紹介

中渓宏一 Koichi Nakatani

1971年ワシントン州シアトル生まれ。青山学院大学経営学部卒業後、三菱商事に6年間勤務。日本初のe-learningベンチャーに数ヶ月転職した後に世界放浪の旅へ。世界各地の祭りを追いかける旅は、環境活動家「アースウォーカー」との運命の出逢いをきっかけにアフリカの大地を歩き、木を植える旅に。帰国後は日本列島を徒歩で二回縦断、主に小学校での植樹活動を行った。2011年に家族でチリのパタゴニアに移住、オフグリッドな森暮らしの楽しさを伝える「森かえる」プロジェクトを国内外で展開中。著書「地球を歩く、木を植える」(エイ出版)

竹本吉輝 Yoshiteru Takemoto

1971年神奈川県生まれ。横浜国立大学国際経済法学研究科修了。外資系会計事務所、環境コンサルティング会社の設立経営などを経て、2009年、株式会社トビムシ設立。10年、ワリバシカンパニー株式会社の設立に参画。13年、株式会社東京・森と市庭を設立、代表取締役就任。専門は環境法。国内環境政策立案に多数関与。同時に、財務会計・金融の知見を加味した環境ビジネスの実際的、多面的展開にも実績多数。立法(マクロ政策)と起業(ミクロ市場)で双方の現場を知る。