月夜の海 a flat calm day

風がやみ、まるでシャッターを切ったかのように、景色はその移ろいをとめる。凪。昨夜、僕は夜の海に出た。雲の間から時折現れる月に導かれながら、小さな小さな舟に乗って。辺り一面の静寂はエンジン音に破られ、その推進とともに風が生まれる。無風無音の世界は終わりを遂げ、やがて眼前の美しい一枚の写真は躍動的な映像に変わっていく。そして闇夜に目が慣れ、海面の先に目指す三郎岩をとらえたところで夜は静けさを取り戻す。再びとだえつつある風を頬に受け、月の位置を確認する。戻りはじめるまでの、一瞬の水平。

凪の日。陸から眺める海はとても穏やかで、そこに揺らぎを想わせる一切がない。しかし小舟は、ほんの僅かな揺らぎそのすべてを拾い、そして自ら揺らぎを生みだしもする。夜の海という、月星がなければその方角さえ見失ってしまう、暗くそしてあまりに広い世界。と、小舟。先達が少しずつ積んできた、その海への造詣、同時に生まれくる畏敬の念、それらなくして海に出れないこと、決して船の大小を問わない。しかし、揺らぎを拾い揺らぎを生みだす小舟は、造詣と畏敬をいだいていたとして、自らの位置を見失い、心の平穏を失い、操舵に支障をきたす、その蓋然性は決して低くない。それが時化でなく、凪の日であったとしても。

僕、僕たちが、暗く広い海に飛び出してから、どれほどの時が経ち、どれほどの揺らぎをその小さな船体で受けとめてきたのだろう。航海というものをブレなく推進する、というのは、揺らぎを受けない、生まない、ということではない。小舟なのだから、時化の日も、凪の日さえも、揺らぎを拾い、揺らぎを生んでしまうことは仕方がない。航路も距離も問わない、その日々在る揺らぎの中で、平穏を保ち、海岸をみて、月星をみて、自分の位置を確認しながら行く先を目指す、その揺るぎない姿勢のことだ。
そう想起する僕に雲間の月がほほ笑んだのは、舟が港へ向け舵を切るその水平の刹那だった。

photo by 井島健至