Passive 在り様の関係性

春の訪れと共に、心新たに装いも新たにする人という生き物は、自らを置く環境に自らの在り様を自らのできる範囲で適応させる点で他の動物と何ら変わらない。そして、(世の中が春めいたとたんに)季節外れの雪に見舞われ、不確実な自然環境を憂い嘆くしかない点も他の動物と何ら変わらない(他の動物が憂い嘆くかは別として、天候の不確実性を甘受せざるをえないのは同じという意味で)。そもそも人は、自然環境を所与なものとして、あくまで自然環境の一部として、雨風しのぐ体裁を整えることは別、暑さも寒さも、突然の雷雨も暴風も、受け入れてきた。それがいつの頃からか、温暖化の影響と思しき暑さをしのぐために、内部環境(家や職場など個別空間)のみの最適性を化石燃料の投下とともに整え、外部環境(周辺環境全体、広く地球)をより温暖化させる、といった愚行を重ねるようになった。近代という、人類史上におけるほんの僅かな(僅かな)歳月の中で。そんなことをぼんやり考えながら、世田谷経堂の春雪積もる小路を(やはり憂い嘆きながら)歩いたその先に、「経堂の杜」はあった。そしてそこに甲斐徹郎はいた。
甲斐氏は、チームネットという会社を率いながら、「環境共生」をコンセプトに、住環境や地域環境をプロデュースする。僕たちの出会いの場となった「経堂の杜」や「欅ハウス」他、原風景残る緑豊かな居住空間をデザインする中で、彼が最も意識している(と思しき)こと、それが、その空間が在った、在る、在り続けるための「関係性(論)」。ここでいう「関係性」とは、人と空間、人と空間と自然(周辺)環境、そして、人と(同一コミュニティの、あるいは周辺の)人との関係性、それら全てが含まれる。そして、その最適性を創り保つため、同環境(内外)のあらゆる関係性を遮断せず、仮に遮断しかかっている関係性があれば(むしろ)関与し再編集する、そこまでが同氏のデザイン領域に入っている(らしい)。
一方、僕は僕で、トビムシ通信のコラムに以下のよう綴っていた。

高気密住宅と省エネ型エアコン。洗濯乾燥機と部屋干し洗剤。外気温どころか、天候さえ気にならない生活シーン。家ごとの快適性を高め、家ごとのエネルギー効率を高める。各家のみでの最適性の追求。
光の流れと風の流れ。隣家、路、周辺とのつながりと境界。葦簀(よしず)。簾(すだれ)。垣根。庭木。街路樹。木漏れ日を慈しみ、川のせせらぎと虫の声を愉しむ。かつて普通に在った、隣近所、集落、地域での最適性の創造。
光と風の流れを取り入れ、隣人と路行き交う人の流れを汲んだ「垣根」がなくなり、隣近所や地域との「心の垣根」がつくられる風潮、傾向に、トビムシができること、やらなければならないことが、まだまだ沢山ある、眩しい日差しに手をかざしながら、そのことを覚えます。

隣近所、集落ごと、地域ごとの在り様を思考しながら、そうした在り様が、それぞれの関係性と関係性相互の関係性により、決して個のLife styleに留まらず、Social styleの醸成へとつながる、そんなことを想起していた。
そんな僕らの出会いは、やはり必然であったのだろうか。その後間もなく、二人(きり)で奥多摩の地に入り、語らい、東京の未来への僕らの関わり方をデザインすることになる。そして2013年の4月、東京・森と市庭を甲斐氏と共に立ち上げたのは、春雪の出会いからちょうど1年が経つ、ある穏やかな春の日だった。

画像提供:琉球新報